裁量労働制をやめてフレックス制にした理由

こんにちは!

巷では、”働き方改革”の一部に裁量労働制の拡大を盛り込むかどうか。
みたいな議論があるようですが、
弊社では昨年から裁量労働制からフレックス制に制度を変更しました。
何故裁量労働制をやめて、フレックス制にしたのか?

一番の理由は、裁量労働制の一番の肝である、
”時間ではなく、完全に成果に基づく評価”
が非常に難しいと感じたからです。
フェア度と柔軟性の両方を追求するために、フレックス制に変更しました。

弊社は、元々残業時間もほぼ無く、巷で言われるような
”働かせまくるための裁量労働制”は一切ありませんでした。
どちらかというと、単に他社で裁量労働制が多いから。
という理由位で導入していました。

一応、ルールの通り”遅刻でお咎め”みたいなものはなかったですし、
160hの縛りみたいなものも設けていませんでした。
ただ逆に、裁量に任せられているという明言も少なかった。
よって、しっかり9時に来るメンバーもいれば、全然気にしないメンバーもいて、
齟齬が生じたりもありはしました。

その認識齟齬を解消しようという目的もありましたが、
それ以上に”評価をフェアにするには?”という課題の方が大きかったです。

これまで上長による評価だったものの、上長依存を減らし、
最大限フェアな評価を目指して、360度評価の色合いを濃くしていったのですが、
その過程で、一部で”評価制度ハック”的な動きも見られ始めました。
例えば、相互の評価をし合う直前に頑張る、
よく見ると実際の結果にはつながっていないが、声高に叫ぶ。など。
もちろん、評価する側の目が慣れてきたら、そのハックは解消される訳ですが、
途中過程があまり気持ちよくない。見守っている側からしてもモヤモヤする。
”働かせすぎ”の懸念ではなく、”働かなすぎだけど高評価(成果ではなく雰囲気で評価高)”
の懸念が露呈してきた訳です。
その懸念を解消し、フェア度を高めようという発想から制度見直しをしました。

時間の自由度は担保したまま、今の実情の中で最大限フェアにする。
その考えから至ったのが、コアタイム少なめのフレックス制度でした。

結局、”完全な評価”ができない限りは、最低ラインで時間をコミットしてもらう。
その上で、成果に基づく評価をする。
最低ラインはコミットしているので、全員一律で昇給する額も設けています。
最低ライン+成果対価 そんな設計です。

私の印象として、結果としては良かったと思っています。
いずれ”成果に基づく”度合いはもっと高めていくべきだと思いつつも、
結局個人営業部隊な訳ではないので、完全なる”成果”は判断が難しい。
このくらいの区切りが妥当なのかなと思ってはいます。
裁量労働制、つまり成果で測定することは純粋な営業職以外難しそうな印象。

弊社では、評価制度、働き方含め、常に改善意識を持っており、
ビジョンに近づき、カルチャーを守るあるべき形とは?を追求しています。

弊社のカルチャーにマッチする方にとっては、どんどん働きやすくしていっていますので、
是非ご興味あれば、ご応募ください!よろしくお願いいたします。