ベンチャーのマネジメントは究極の開き直り

最近の私の経営&マネジメントのスタンスとして、
”これで潰れるなら仕方ないし本望”という開き直り的なものがあります。
どういうことか?
 
 
まだ現状の規模では、社員採用の最終面接では必ず私が面接しています。
2倍位の人数でもそれは維持するかなと思います。
最終的な採用の決断を私がした以上、そのメンバーが結果を出せなかったとしたら、
その責任は全て私にあると思っています。
 
もちろん、”結果”は一朝一夕には出ないので最後は”待つ”しか無いわけです。
どこまで待つか?
待てないというか、結果が出てないことを認めてしまったら、
それは私の人を見る目を否定してしまっていることになるので、
”どこまでも信じて待つ”
が答えだと思っています。究極的には潰れてしまってもやむを得ない。
それはそれで私の見る目がなかったという私の責任だから。
そう考えるようになってから意識が変わった気はします。
 
 
もちろん、放置をするわけではなく、結果が出るように試行錯誤は手助けします。
最初に選んだのは私なわけで、見放すみたいなことは無いわけです。
もちろん、人を見る目が神様のように優れているとは思っていないので、
想定外のこともありはしますが、とはいえそれを含めて採用決断者責任がある。
採用決断とはそのくらいの責任があると思っています。
 
 
それは事業責任者クラスでも同様。
自分が採用の可否判断に1つでも関わったのであれば、責任は生じる。
何としてでも成果に繋げなければいけないわけです。
 
 
成果がなかなか出なかったりすると、自分でやってしまいたくなることはよくあります。
ただ、ある意味採用は自分ではやりきれないところをやるべく、
同じビジョンを共有できるビジョン化身を仲間に入れたというスタンスなので、
それで成果が出なければ採用した自分に責任がある。
なんだかんだどうなっても自分の責任なのであれば、
リターンが大きい可能性がある方(つまり任せる方)に賭けてみよう。
という、半ば開き直りに近い感覚のこともあります。
投資の世界だと”損切り”というものがありますが、人財の社会だとそれはできない。
長期のバリュー投資みたいな感覚です。いつか化ける。そう思ってナンピン買いw
含み損がある中で辞められてしまうと、さすがに強制損切りで失敗感はありますが、
そうでなければいつか化けると思っています。
 
 
大きい会社では、採用に関わった人≠上長 ではないこともあると思います。
ただ、弊社くらいの大きさだと上長や社長は大体採用に関わる。
そうなると、全て自分の責任になってくるので、より任せる他ないのかなと思ったりします。
 
自分の責任で採用した人に任せて上手くいかなかったら(最悪潰れるでもしても)
結局それは自分の責任。
それなら小さいこと考えずに任せてしまえー えいやー
そんな開き直りが必要かなと思います。