社員は社長の写し鏡だと思ふ

最近ある本を読んでいて、
”ビジョンがしっかり浸透している組織は敢えて細かいマニュアルがなくとも、
そのビジョンにそった行動が自ずとできる。
自ずと行動が出来ていないとしたらそれはビジョンが浸透していないだけだ。
(社長が手を抜いているだけだ)”
といった内容のことが書いてあって、ハッとさせられました。

 
 
よく、”会社は社長の器以上に大きくはならない”ということは聞いて、
反省しかないわけですが、それにもまして、
”社員は社長のアクションの写し鏡”ということは納得感もあり反省もあり、
自分がどうするかが大事という、出来そう感も高まったりしました。
 
 
「未だ社長の志足りんや、焉んぞ社員の志をや」
(未だ社長の志が足りないのに、どうして社員の志がたかくなろうか。いや、なりようがない)
※ 漢文的にあってるかは不明
※ ”未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん”が原型
※ 志に限らず。
 
 
と同時に、「視座を高く持つ」ということも月刊致知の特集になっていて、
これは何かの運命だなと思ったり次第です。
 
ちなみに、この中にも書いてありましたが、
三菱ケミカル小林会長の座右の銘は
「宿命に耐え、運命と戯れ、使命に生きる」
だそうです。
 
この運命と戯れつつ、器を大きくすべく宿命に耐え、使命に生きたいと思い候

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